自分の素晴らしさに気づいてしまったら。

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自分の素晴らしさに気づいてしまったら…

もう理由が無くなってしまうから怖いのだと思う。

 

あなたは謙虚だ、そこがいいんだと

立て続けに言われたけど、

 

わたしは謙虚ではなく

ただの臆病なんだと思う。

 

自分の凄さ、素晴らしさに

自分がほんとうに気づいてしまったら

 

こうしなきゃ、ああしなきゃ、

という理由が無くなってしまって

じゃあどうしたらいいの?と

路頭に迷ってしまうと思い込んでいた。

 

素晴らしさに気づくって

 

何もなかったって気づくことと同じなのかもしれない。

 

最初から何もない訳だから

余計なことは何もしなくていい。

 

評価された「素晴らしさ」というのは

箱だけで

中身は何もなかったのだ。

 

ああ、急に真っ暗になって

大雨が降ってきた。

 

暗転した後、

 

どんな世界をわたしは見るのだろう。

 

 

 

言いたいことは特になし。

 前のブログは毎日更新っていうのだけ決めて書いてきたけど、

今回はその縛りなく書きたいときにだけ書こうと思う。

 

言いたいことって最近特にない。

なんも言えねえ状態にはなるけど。

 

ほんとにびっくりしたり苦しかったり気づいたりした時って

なんも言えなくなる。少なくともわたしは。

 

気づくったって

その時点での自分が気づいたってだけで日々変わるしねー。

 

まあでも記録的に書けることは書いていく。

書くのはすきだし、唯一、子供の頃から続けてること。

 

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先日、人づてに、ちょっとだけ会ったことのある人に、

「彼女は目の奥が閉じてる」(覚醒してないって意味か?)

って評されてたって聞いた。

 

まあ、ほんとにそうだったし、

その通りです!って感じww

 

覚醒した覚えもないし、

苦手なタイプの人だったのでハートも閉じてたし。

(単に人見知りってこともあるけど)

 

だからその人がどういうつもりで

そう評してくれたのかわかんないけど、

すごいなあって思って感心した。

 

初対面の人を良くも悪くも

評することはあんまり好きじゃないし

やっぱり苦手なタイプの人だって自分の直感もその通りだったし。

 

でも、そんなゲームに付き合ってる暇あったら、

わたしはわたしのことをしたい。

 

カラオケ行ったり

美味しいもの美味しく食べたりしたい。

好きな人たちと過ごしたい。

 

自分の目なんて簡単に曇る。

 

自分の目もそんなに信頼できないくらいなので、

 

ましてや名前も覚えてない一回だけ会った人のことや

会ったことのない人の言うことも信頼しなくていいと思う。

 

疑いつつも信頼したければ

それを愛するしかない。

愛したことはどんなふうになろうとも

それは自分の責任だ。

 

変化するものを縛り付けるものたちを

徹底的に見て

ぶっ壊していくしかない。

 

自分を信じてって

今まで言ってきた自分もぶっ壊す。

 

信頼は「する」ものじゃない。

 

気づけばそこにあるもの。

 

空気があるって信頼してるから息が吸えるって訳じゃない。

 

ただあるから吸っているのだ、無意識に。

意識してそうなってる訳じゃないし、

意識した途端に逆に息苦しくなる。

 

これらはわたしの言いたいことじゃない。

 

ただ今のわたしが感じ

言葉にしたものたち。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

自分で愛せよ、

自分の目で。

 

人の目で景色を見てもつまらない。

 

 

仕切り直しである。

今日からあらたにまたblogを書いてみる。

 

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 バスを降りると、

近所の神社で盆踊りが行われてた。

 

間延びしたような音で聞こえて来る

聴いたことあるけど曲名は知らないなんとか音頭と

暗闇に光る電球色の明かりがなんともノスタルジックだった。

 

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思えば遠くに来たもんだ。

ここに住んでいるのも、今の仕事をしてるのも

10年前くらいには思いもよらないことで、

どうしてこうなったんだろうなって

時折思う。

 

後悔とかではなく

ナチュラルにただただ思う。

幾重にもいろんなことがあってこうなってる訳だけど

人生って不思議だわ。