夢で会いましょう。

 

眠るのが大好き。

たぶん一般的な人の倍は人生で寝てるんじゃないかと思う。

巣に入るみたいに布団に入る瞬間が毎日うれしい。

昼寝も好き。

 

これは子供の頃から変わらず。

いや、赤ちゃんの頃から?

○子はずっと寝ててこの子は目が見えないんじゃ、

って親が心配したらしい。

 

夢も毎日ではないけど見るし、

何かの変わり目の時は印象的な夢を見る。

 

だいたい悪夢だけど(笑)

 

先月、超絶悶々期に、すごい悪夢見て、更に落ち込んだ。

落ち込んでるからそういう夢を見たのかもしれないけど。

 

人の夢の話ほどどうでもいいということわざがあるように(ないけど・ありそうw)

どうでもいいと思うので、簡単に内容を説明すると、

 

ものすごい罪人を目の前にして、

それを絶対に許せない!!!と激怒し、

でも許さないことで何も救われない状況を目の当たりにして愕然とするという夢。

自分がいちばん嫌なんじゃないか?って感じるようなシチュエーションだった。

やるな潜在意識、、、。

 

あの時、夢の中で感じたのは絶望だった。

何も出来ない絶望。

 

そして、わたしもその罪を犯した人も、

同じなんだということに気づき愕然とした。

 

わたしはやってない、だから罪を犯した訳ではない。

だからと言ってそれを断罪出来るのか?

という葛藤の中でそれに気づいた。

 

おまえもわたし自身だ。

 

いきなりスピリチュアル的に言えば

ワンネスという状態。

 

こんなひどい状況でワンネスに行き着くなんて!!

 

起きてからも、夢の中での感情がしばらく続いてた。

 

まだまだいろんなことを無意識に、

無自覚にジャッジしてる自分にそこから気づいて今に至る。

 

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 京都へ向けて移動中。

寒いと内観も捗るわ〜。

ほどほどカラダも動かしつつね。

 

 って書いてるうちに、もう京都。

雪は降ってないけど、空気がひんやり冷たい。

  

 

無料で何かを差し出す、ということ。

 

先日、内側から湧き上がって来たすぐには言葉に出来ない想いを

伝えたいなということもあって、無料で遠隔ヒーリングを行なった。

一斉ではなく、1人ずつへメッセージも添えて。

 

でも無料、、、って決めた時の怖さ。

 

これは全然楽しい思い出だけど、そういえばずいぶん前だけどsbdが解散する前、

ダダより怖いものはないっていうタイトルの無料ライブご招待チケット当たったことあるけど、

MCで池田さんが「表で七万円で転売してたらしいよ( ;´Д`)」ってこわいこと言ってた。

買ったひといるかは不明だけど。。。

 

金額のことを考えるときに「価値」が表立った標準になってることも多いけど、

ある人にとっては「幾ら出しても欲しい」というものでも、

ある人にとっては「別にタダでもいらない」こともある。

「昔は喉から手が出るほど欲しかったけど、今は全然欲しくない」

「昔は安い値段で買えたけど、今は高額に」

という時が経つ事で変化することもある。

 

今回、わたしは自分がする事を無料で提供した訳だけど、

 

全然申し込み入らなくてタダでもいらないよ、

って思われたらどうしよう!!

っていうのが怖さの大元だった。

 

そこまで卑屈に自分を信頼できないほどに落ちてた。

 

次にお金も正直、全然余裕ないときに無料で⁈

という自分ツッコミ。。。

いつかはなんらかで循環していくであろうって知ってはいても、

今余裕ないことを考えると怖かった。

 

でも、自分ではまだ気づいてなかったけど、

言葉にできなかった想いに、今回、気づけた。

 

 

この仕事、たのしー!!だった。

申し込み入ってうれしいという自己承認を満たしたうれしいじゃない。

仕事が出来て、たのしー!!だった。

 

風邪でボロボロで夜あんまり眠れなくても、

お金ならなくても。

 

仕事っていうのは、お金になるかならないかじゃあないんだな、

ってあらためて思った。

 

喜べるか、喜び合えるかどうかだ。

 

もちろん生活のために、っていう仕事の仕方も尊いと思う。

 

でも、その「生活」がたのしく喜び合える(人とも自分自身とも)ものか?

っていうことが、ほんとうに大切だと思う。

 

自分がどこに向かって、自分のエネルギーを使い、循環できてるか?

 

わたしはこの仕事を続けたいから通常はお金を頂いてる。

 

そんなのビジネス的じゃあないのかもしれないけど、趣味でもない。

 

やっぱり仕事なのだ。

 

 

でも今回、無料で差し出したことで、

これらのことに気づいて、感謝が溢れてきた。

 

喜び合えると自然に感謝も湧いてくる。しようと思わなくてもそうなるんだ。

 

ありがとうと差し出したものは

ありがとうと返ってきた。

 

言葉で想いでエナジーで。

 

これをまた別の形になっても

ありがとうで返していきたい。

 

 

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でも

 これは今のわたしが感じたこと。

 

いろんな人に別々の流れと景色があると思う。

 

 

 

9月10月こんなツキだったよという振り返り。

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いやあ、絶賛調子悪い日々でした。

風邪とか疲労とかではなく。

なーんか変っていう日々。眠い&だるい。

過去のトラウマが蘇る、孤独感に苛まされる。。。等々。

 

ずーっとではないんだけど、日々こんな調子でした。

 

でもね、何があったという訳じゃないので

人に話すレベルでなく、でも寂しい気持ちから、

人に会いたいなあとか思っちゃうけど、会ってもろくなことを話さないなという

自分も感じるので、極力、人との交流を避けてました。

 

ひたすら悶々と自分と向き合う日々。

 

そんな中でも、チョロっと、今こんな感じで、、、

と話せる人も居て、そしたら、「わかる!わたしもそんな感じ」

と言われびっくり。

どこかで、わたしだけいまだにウダウダしてて恥ずかしいなあ〜みんな頑張ってるのに!

とか思ってたので。。。

 

自分だけ、というのも、わたしの妄想だった訳ですね。

 

そしてどういう訳か、

何があったという訳でもないのに

先日から「抜けた!」という気配がし、

今日になって、更に軽くなりました。

 

たぶん星回りとかエネルギーレベルで切り替わったりもしてるんでしょうけど、

その辺詳しくないので、わかりませんが(^^;;

 

調子悪い日々の中でも、

息継ぎのようにプハッとできるタイミングや

気づいたことや、行動を起こしたこともあります。

 

今は「体力」ということにフォーカスしてます。

 

体力って、疲れないとか動けるというレベルのものから、

跳ね返す、作り出せるというレベルのものもあると思います。

 

固めて強化じゃなく

循環の方向性で体力をつけていきたいなあと感じてます。

 

朝に太陽礼拝始めてるのですが

毎日じゃなく、やろうと思えた時にしてます。

それでも、だんだんできるようになってきてフラつきも少なくなったり。。。

 

続けなきゃと思うと、やらないと、

もうだめだ、、、ってそのままやらないことも多いけど、

 

やりたいからやってる、という

できる時にフォーカスすると、やれます(笑)

 

当たり前のことだけど。。。

 

やりたいからやってる。

やりたくないけどやんなきゃ、でもできない。。。

っていうのは無駄な考え。

ただやってないだけなのに。

 

わたしはこういった無駄な考えで立ち止まることが多いので、

 

よりシンプルにしていきたい。

 

今更カッコつけても仕方ないし。

 

そんな最近。

 

今月は仙台も行きました。

よかったな〜仙台。また行きたいです。

 

写真は仙台のホテルから。

部屋に着いてセッション前の調整が終わると

雲から光が差して来て虹の柱が出ました。

 

こういった自然に気持ちが明るくなったり、

美しいと感じる自分がまだいるということに励まされたりホッとしたりの日々でした。

 

 

 

 

繊細さの奥にあるもの。

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 ああ、わたしは傷ついてたんだと悲しみがこみ上げてきて、

涙が溢れ出した。

あまりに「え?それくらいことで?」という理由で

涙をぬぐいながら呆れた。

 

それくらいのことで悲しいなんて

傷つくなんて愚かだと思ってたから

気づこうとしなかったんだと

その愚鈍さに呆れた。嫌だと思った。

 

いや、違う。

本当はどっちにも気づいてたんだ。

 

それなのに無視してた。

 

繊細さゆえに、そうやって押し込めてきた欠片が

今になって胸に突き刺さる。

 

その奥にあるものをちゃんと見ろよって思う。

 

悲しくて、怖くて、傷ついてたわたしも

ここに居るのに。

 

傷つきたくなくて

見ようとしてなかっただけで

しっかり傷ついてた。

 

ただそのことが、そうだったんだなと分かったら、

じわっと涙が出た。

呆れたけど、その愚鈍さに嫌気がさしたけど、

それもわたしだ。

 

忘れたふりしてたけど

そういうわたしも居るのだ。

 

ただそれだけのこと。

 

だからもうそこから幻想(妄想)というドラマは始められないなって思ったら、

 

1時間も経たないうちに別の扉がすぐに開いた。

 

愚鈍なままでそこに飛び込んだら

あははと自分を笑い飛ばせた。

 

これだから、面白い。

 

全ては自分がつくっている世界観の中で

ただ右往左往してるだけで

そのことに気づいては、また忘れ、、、

思い出しては、あらたに選び直していく。

トライアンドエラーを繰り返しながら。

 

生きてゆく。

 

 

わたしが冷えとり靴下履くのをやめた訳とその後。

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友達に編んでもらったネックウォーマー。

最近のお気に入り。

 

4年くらい続けていた冷えとり。

靴下重ね履きしてたのを、やめてから一年以上経つ。

冷えとりと言っても、厳密ではなく、

最終的には靴下とレギンスを常に(夏も)履くっていうくらいだったので、

別に冷えとりついて物申すつもりはない。

ただ、自分的メモとして気づいたことを書いてみる。

 

なんで冷えとりやってみようと思ったのか?は

「興味深かったし、なんか良さそうと思ったから」

深刻な冷えに悩んで、、、とかではなく、

そういえば足も冷えやすいし、靴下重ねてそれが改善されたり、

体調が良くなるならやってみようか!と靴下を買い集めた。

もともと何故か靴下が好き(買うのが)だったこともあって、

はまった〜。靴下に何万円使っただろ(笑)

オットも重ね履きしてたので、4枚×ふたり分で洗濯してると

干すのが大変で。。。

五本指ソックスだから、オットがそのまんま脱いじゃうと

指のとこをいちいち出して干さないとならないのが非常にイライラした。

冷えとりやってるのにね、イライラしたら本末転倒。

 

実際にやってみてよかったのは、

気持ちが落ち着く感じがあったし、

わたしは映画とかライブとか何時間もトイレに行けないことに緊張して、

余計にトイレに行きたくなるという感じがあったけど、

靴下重ね履きしたり下半身にとにかく厚着することで、

それが自分的には解消されたと思う。

あとは白湯って美味しい!と気づいたこととか(笑)

 

靴下履いてれば大丈夫っていうお守りになったんだと思う。

そのお守りが、今度はいつの間にか「こだわり」になってた。

 

からだから変えて行きたくて始めたのに

変わっていたからだのことに気づけず、鈍感になってたなって

今は感じる。

 

ある日の朝、両足がパンパンに赤く腫れた。

痛くて痒くてびっくりした。

 

もしかしたら、もう少し前だったら、

「すごいめんげん(好転反応)が出た!」って喜んでたかもしれないけど、

その時のわたしは速攻皮膚科へ行った。

 

その1カ月前くらいから、

寝てる時に靴下履いてると汗をかいて気持ち悪いって感じてたのだった。

その違和感に足の腫れをみた時、こういうことかって納得したので、

病院へ行き、素直に医師の言うことを聞いて薬を塗って治した。

「寝る時、靴下履いてませんか?」とずばり言われた。

病院で言われたのは、免疫力が落ちてる時に、もともと体内にあった菌が、

足が蒸れて増殖してしまった、と言うことだった。(水虫ではなかった)

 

病院に行かなくても治したのかもしれないけど、

足が腫れたとき、もういいよー、腫れてまで続けたくないよー、

と正直感じた。違和感あったのに頑固に続けて足にも申し訳ない気持ちだった。

 

数年ぶりに素足で床を歩いたら、スースーした。

 

靴下重ねて履いてたサイズ大きめの靴も買い換えた。

身軽になった気分だった。

 

冷えとり中は風呂上がりも何はなくても靴下を先に履くから

あんまり足を見てなかったけど

自分の足の形ってこうだったのかと数年ぶりにマジマジと見た。

 

(今思い出したけど、靴下脱いで寝るようになってから二度ほど、

足の裏の皮がペロンって剥けた。あれは何だったんだろう?)

 

ともかく

こうしてわたしは靴下重ね履きやめました。

 

足が腫れてまでしないと

今の自分の感覚はどうなのか?って気づけないって

わたしって相当頑固だなあって思う。

 

昨日はひっさしぶりにストッキング履いてみた。

 

毎日は嫌だけど、たまのおしゃれにはいいなって思った。

 

洋服もここ何年も、素材とか心地よさにこだわってたんだと気づく。

 

それが良いって選択してたと思ってたけど、

何かの「縛り」だったのかもしれない。

 

あとは不安からの選択。

 

わたしには似合わないから、恥ずかしいから、

お化粧も今更してもなあ、、、なんか肌に悪そうだし。。。とか。

 

でも、メイクの仕方がわからなすぎて申し込んだお話会とレッスンで

プロのメイクアップアーティストの先生から

SPF高い日焼け止めは落とすのにも肌に負担がかかるから、

それだったらファンデーション塗ったほうが良いです!って教えてもらい、

ナチュラル製品として売られてて買ったばかりの日焼け止めを塗るのやめた。

それ以来、ファンデーションも10年以上ぶりに買って、ほぼ毎日塗っている。

先生に教えてもらった通りには再現できないけど。。。

 

思えば!それだけじゃないけど、

冷えとりやめてからの方がすごい改革が自分に起きてるわ。

こうやってあらためて書いてみると。。。

 

先日は生まれて初めてデパートBAさんにファンデーションを選んでもらったわよ!

これも前だったら超恥ずかしくてできなかったこと。

 

服を買うときも、信頼できそうな店員さんに合わせ方とかばんばん聞く。

 

自分がどう見えてるのか?なんて

自分が決めつけてるだけだから、人のアドバイスを聞いて受け入れてみると、

選択肢が広がる。

 

選択していくことは、出会いだから、

何と出会うかで変わってくるし。

 

冷えとりと出会い、冷えとり関係(ざっくりでごめん)の人と出会ったことも

何ら後悔もないけど、違う選択もあったのだとも思う。

 

相変わらず感覚優先になってしまう

何となくの直感型だけど。

 

なるべく自分で決めつけたものに縛られず、
出会い続けていきたい。

 

わたし、はわたしであって、わたしでない。

 

いつかの「わたし」だと思ってた「わたし」はもういない。

 

そう思うと寂しいけど、生きるってそういうことかもな。

 

 

 

 

 

時代のものじゃなくて、あなたのものになりたい。

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ジャニーズ事務所から独立した、草なぎくんと稲垣くんと香取くん。

新しいファンクラブもできて、サイトが話題になってるけど、

そのサイトを見たら、

ああ、ほんとにアイドルじゃなくなったんだなって思った。

今までもドラマに出てたし、歌も歌ってたし、バラエティもやってたけど、

今までのキャリア関係なく、個々の表現をしていくのだろうなって思うと、

SMAPっていうのも、もはやこちら側としても過去のものだと感じられて、

あんな大看板背負ってたのに?ってちょっと自分でもそんな風に思えるのが不思議だったけど。

 

先日、スマステの最終回で、

大下アナウンサーと最後にハグしたり、

最後のゲストが山本くんでよかったです!っていう彼や、

もっと続けたかったよーって本音を漏らした様子に

アイドル然とした感じは全くなくて、

人間味がある正直な姿しかなく、

ほんとうに才能が出せるのはこれからなんだろうなって思えた。

 

わたしは特にファンじゃなかったけど、

キムタクと同じ年で、学生の頃からずっと時代とともにあった彼らが

ファンだとか好きとか嫌いを超えて、当たり前の象徴だった。

(引退発表した安室ちゃんもそうだった。)

一枚もCD買ってないのに何曲もカラオケで歌えるくらいに。

あ、これいうと今の子たちは違法ダウンロードとか、YouTubeとかイメージするのかも、

違うよ、街のBGM、テレビ、でまるっと覚えられるくらいガンガンに曲が流されてたってこと。

そういうのが当たり前だったのが、

今思うとすごいことだ。

(今、流行ってる曲は細分化されてるので、ダウンロードして聴いたり、

YouTube見たりしないと覚えられないと思う。いつの間にか全部歌えるとかないんじゃないだろうか。)

 

どれだけの影響力だったんだろう?

同じ時代を生きてた私たちにとって。

 

 

星野源くんが、

僕は時代のものじゃなくて、あなたのものになりたいって歌ってて、

今現在、ほんとうにそうなってるように

 

今まで時代の象徴みたいに輝かされ続けて来たあの人たちが

もっと自由に、本当の意味でのオンリーワンな存在に

なっていくところを、これからも、熱心にじゃないだろうけど、

自分が生きていく日常の中で見られることが楽しみだ。

 

個人的には草なぎくんの演技が好きだったので、

どんどん映画とかドラマに出て欲しいなと思う。

変態的な役とか似合うと思う。

問題起こしてからますますいいなって思ってたよ。

人間味があるなあって。。。

 

あー、でも、マジで次元変わってきてるね!(笑)

 

マトリックスな世界で目覚めた先に何があるか?

 

それもどう選択してゆくか、なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日は来るということ。

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先日。ずっと日にちと曜日を間違えて過ごしていて、

夜、オットと話してて「今日は7日木曜日だけど」って言われ驚いた。

前日に「明日空いてますか?」と予約メールをもらい、

お客さんが来てセッションしたけど、

わたしはずっと金曜日だと思ってて、

でもその方は木曜日だったから来れた訳で。。。

お互い別の時間に居たけど会えたという不思議。

 

いや、この次元では木曜日だったけど

わたしはずっと金曜日だと思ってたから、金曜日を過ごしてたのだ。

 

時間ってなんだろうか?とあらためて感じた日だった。

 

パラレルワールドってこういう風に

ふいっと移動できるのかも。

意識をいかにカラダごとの今にするかということなのかも。

 

 

最近、いろいろ起きてる。

ミサイル、地震、災害、事件、事故、、、。

大規模太陽フレアとかも。

不安になる要素なんて、たくさんあるはずなのに、

どういう訳か、じぶんの内側はとっても静か。

 

いよいよなんだなってしか思わない。

 

やれることをやるまでだ。

 

ひとまず、今は、明日は来ると思えてる。

どんな明日になるのかはお任せだけど。

 

それでいいじゃないかって思うんだ。