無料で何かを差し出す、ということ。

 

先日、内側から湧き上がって来たすぐには言葉に出来ない想いを

伝えたいなということもあって、無料で遠隔ヒーリングを行なった。

一斉ではなく、1人ずつへメッセージも添えて。

 

でも無料、、、って決めた時の怖さ。

 

これは全然楽しい思い出だけど、そういえばずいぶん前だけどsbdが解散する前、

ダダより怖いものはないっていうタイトルの無料ライブご招待チケット当たったことあるけど、

MCで池田さんが「表で七万円で転売してたらしいよ( ;´Д`)」ってこわいこと言ってた。

買ったひといるかは不明だけど。。。

 

金額のことを考えるときに「価値」が表立った標準になってることも多いけど、

ある人にとっては「幾ら出しても欲しい」というものでも、

ある人にとっては「別にタダでもいらない」こともある。

「昔は喉から手が出るほど欲しかったけど、今は全然欲しくない」

「昔は安い値段で買えたけど、今は高額に」

という時が経つ事で変化することもある。

 

今回、わたしは自分がする事を無料で提供した訳だけど、

 

全然申し込み入らなくてタダでもいらないよ、

って思われたらどうしよう!!

っていうのが怖さの大元だった。

 

そこまで卑屈に自分を信頼できないほどに落ちてた。

 

次にお金も正直、全然余裕ないときに無料で⁈

という自分ツッコミ。。。

いつかはなんらかで循環していくであろうって知ってはいても、

今余裕ないことを考えると怖かった。

 

でも、自分ではまだ気づいてなかったけど、

言葉にできなかった想いに、今回、気づけた。

 

 

この仕事、たのしー!!だった。

申し込み入ってうれしいという自己承認を満たしたうれしいじゃない。

仕事が出来て、たのしー!!だった。

 

風邪でボロボロで夜あんまり眠れなくても、

お金ならなくても。

 

仕事っていうのは、お金になるかならないかじゃあないんだな、

ってあらためて思った。

 

喜べるか、喜び合えるかどうかだ。

 

もちろん生活のために、っていう仕事の仕方も尊いと思う。

 

でも、その「生活」がたのしく喜び合える(人とも自分自身とも)ものか?

っていうことが、ほんとうに大切だと思う。

 

自分がどこに向かって、自分のエネルギーを使い、循環できてるか?

 

わたしはこの仕事を続けたいから通常はお金を頂いてる。

 

そんなのビジネス的じゃあないのかもしれないけど、趣味でもない。

 

やっぱり仕事なのだ。

 

 

でも今回、無料で差し出したことで、

これらのことに気づいて、感謝が溢れてきた。

 

喜び合えると自然に感謝も湧いてくる。しようと思わなくてもそうなるんだ。

 

ありがとうと差し出したものは

ありがとうと返ってきた。

 

言葉で想いでエナジーで。

 

これをまた別の形になっても

ありがとうで返していきたい。

 

 

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でも

 これは今のわたしが感じたこと。

 

いろんな人に別々の流れと景色があると思う。