新月のねがい。
新月。
コインランドリーへ。
京都の家には洗濯機がないので、
ある程度溜まった時に自転車漕いで洗濯に行く。
冬の冷たい空気が鼻先にぶつかって過ぎて行く。
晴れてて日差しが気持ち良い。
自由だわ〜って思うのは
こんな時かもしれない。
出かける前は洗濯行くの面倒くさいとか思ってたけど。
そして洗濯中は日用品の買い出しをしたり、
コーヒー飲んだりして過ごす。
今日は最近行くたびに休みでフラれ続けたカフェが開いていたので、
お気に入りの窓辺を見ながらココアを飲んだ。
noteのばななさんの今回のエッセイを読み、まさに!と感じたこと。
大きな力と、いちばんかわいい人たちのために、
に書いてあったこと。。。
わたしも、ばななさんが選択してきたこととは違うけど、
"若い女性が当然歩くはずの人生に向かう道…を歩かされることを拒んできた"
地元で就職し結婚し子供を産む、、、そんな人生もあっただろうに、
思えばそんな人生からは遠くに来たもんだ、、、。
でも自分で選んだことだから言い訳出来ないぶん、満足度は高いよ、
それはそうだよね、、、好きなことを選んで来た訳だから。
親には申し訳ない気持ちもあるけど、これがわたしだから。
あと、いちばんかわいい人たちのために、のところで、
"なぜならやはり「普通の人」なんてこの世にはいないから。たったひとりの個人に、小さいときにそれぞれが特殊な持ち味を持って暮らしていた頃に心だけでも戻ってほしいから。"
と書いてあるのを読んで、わたしが大切にしてきたことが何なのかが
あらためてわかった。
この仕事を続けてきて、いや、それ以前にも思ってたこと。
人間は個で、公の人に、集団になる前は、個で、
そこに想いを届けたいし、そこに興味があるんだ。
普通はこう、ってあったとしても、違和感があれば
限りなく避けてきたし、退けてきた。
抗えなくてそうじゃない時、合わせることを選んでいた時期もあったけど、
いちばん自由だったのは5歳までで、
いまだにそこには戻れてない。
いちばん自由で勇気もあって無敵だったし、
クリエイティブだったわたし。
みんなそういう自分がどこかに居るんだって思う。
子供に戻れ、っていうのでもない、
でもこころの自由さ、
魂について、
三つ子の魂百までっていう諺だってあるし、
今がどうあれ、自由はいつも自分の内にあるから
大丈夫なんだよってことをこれからも
行いを通して伝えていきたいなって思う。